フェアユース導入の障壁   2016/9/23 寺坂真貴子 

※極論の部分がありますので、たたんでおきます。

1.なぜ裁判官は著作物の類似性判断や市場状況に踏み込まず、古式に逃げた判決を書くのか
 1−1.日本著作権法には第2条第1項第一号の著作物の定義が存在するので、「原告の著作物には(思想も感情も創作的に表現されておらず)著作物性がない、したがって著作権侵害事件も存在しない」とすればそれ以上の判断や説示をせずにすむから。しかも著作権法にいう著作権侵害親告罪であり、準備書面や証拠を用意するのは原告本人であるため、その他の訴訟手続き上の手落ちや欠格事由も多い。

 1−2.コモンローや第三者効が制度上存在しないので、自分一人が踏み込まなくても以後の判決には影響しないと思っているから。

 1−3.日本の被告はフェアユースの抗弁を使わないので、市場状況まで踏み込んで悪質性を判断する必要がないから。(消尽論については日本に法律がなくてもすでに判例が存在するのと対照的である。ゲームソフト事件)

2.なぜコンテンツホルダーは日本版フェアユース導入に反対するのか
 2.判例を見て、日本の裁判では、海賊版(デッドコピー)取り締まり以外の範囲に著作権を行使できることを期待していないから。著作権ビジネスにおいて悪名を被らないためには和解だけが実質的な手段だから。

参考例  自炊業者事件ではデッドコピー手段のひろまりを取り締まれたが、それでもユーザーからの反発も大きく、裁判所もすぐには対応してくれなかった。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1603/17/news150.html
「「自炊」代行は著作権侵害 最高裁で確定 2016年03月17日
最高裁はこのほど、業者側の上告を受理しないことを決めた。著作権侵害に当たると判断した知財高裁判決が確定した。
 知財高裁は2014年10月、自炊代行では業者が複製の主体だとし、私的複製として認められる要件を満たしていないとして著作権侵害を認め、賠償金70万円の支払いと複製の差し止めを命じていた。」
 http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/579/084579_hanrei.pdf
 判決文でみると原審は平24(ワ)33525号。最高裁で結論づけられるまで4年かかっている。wikipedeiaの「自炊」によれば出版社の最初の活動は2011年。業者に直接質問状を送付。2011年内に最初に提訴された業者は廃業。

 参考例 「ひこにゃん」泥沼訴訟が“電撃和解” PR戦略で「くまモン」に遅れ (1/4) 
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1609/09/news064.html

 2−1.親告罪であるため調査費用が自分持ちだったり、コンテンツ二次利用に厳しすぎるなど悪評がたった時点で「○○警察」などと呼ばれてしまい、市場では悪評=負けとなることもあり、「抜くに抜けない伝家の宝刀」が著作権の本質だから。

 2−2.敢えて訴えても、2条を細かくとらえられて「そのコンテンツは著作権ではない」「その使い方は著作権侵害ではない」と門前払いされたら逆に業界全体に非常に不利な悪例ができてしまうから。n匹目のどじょうで持ちつ持たれつ、注意深く業界を持ち上げるための緩やかな連携や慣行のほうが有効だから。

 2−3.もし仮に内容比較までもちこめても、芸大出裁判官がいるわけではなく、業界の内情をよく知る目利きもおらず、「納得の行く判断」を下せるわけながいから。

 2−4.ファンの求める秩序と安心を築き、健全な競争の起こる市場を保つためには、自分のところだけは購入申込書の申し込み条件や出版契約書でファンと作家を縛っておけばよいから。もしいきすぎたファンがいてもその行動をメディア企業との契約違反の損害賠償、業務妨害や営業妨害等、他の法律で訴えればいいとおもっているから。

3.なぜ創作者(著作人格権者(仮))はフェアユース導入への政治活動をしないのか
 3−1.若年者、法律を勉強せず創作に専念している者は、知識が混乱しており、「現在の著作権法でも万能だ」or「自分は著作権で守られ得ないものを作っている」or「フェアユースが自分の活動の助けになる場面はない」などと誤解しているから。

 3−2.十分な著作権知識と表現力をもつ者は、他人の著作権を尊重し権利処理しながら合法に制作活動をしており、ライセンス交渉をする場合も煩雑と思った経験がないということになる。つまり特に現状に問題意識を持つことがなくなるから。

 3−3.他人が(その人の著作物を利用しやすくなるよう)独自に許諾条件をつくったから(クリエイティブコモンズ、二次創作OKマーク、「いらすとやさん」、「ブラックジャックによろしく」など)。
 敢えて他人の著作権を利用する場合はそのような予め許諾された、二次利用への理解が有る他人の著作物を用いてのみ創作活動をすればよいとおもっているから。

まとめ
 フェアユースの実現ルートがあるとすれば、上記3→2→1の順番に改善運動が発生し波及すればすんなりと実現しそうである。特に、コミケ文化とフェアユースは相性がよく、コミケの書き手にはフェアユース導入の必要性が大いにある。
 しかし2(業界)の慣例をユーザーのみの力で打ち破るのはバランスが悪くなってしまい、難しい。コンテンツホルダーに長らく「警察としての仕事までやれ」といってきたのはユーザーと裁判所である。2(業界)もファンと法律を同時に横目でにらみながら営業しているので、1=3で同時に改善の動きがなければどうにもならないだろう。
 一方で、商品パッケージなど芸術性の認められない個人複製においては「業として」が簡易的な判断基準になるケースが多い(不正競争防止法、商標法の「実施」)。もし、この「業として」という基準が著作権法にも存在していれば、著2条や私的利用や引用といった多種の判断基準を他に介在させずに済み客観基準としてわかりやすくなる。
 ということを3番(ユーザー)のうち、特に法律にも柔軟に対応してきたコミケ利用者層にアピールすることで、著作権もそちらに足並みをそろえるべきとの機運が3ユーザーにでてくれば話がかわってくるのでは。(ただし、サイト掲載が多いので、アフィリエイトやグーグルアドセンス報酬も業に含めることはあらかじめ明記する必要がありそう)
 逆に2にあたる業界全体から先に動かそうとしても、著作権裁判への不信が通底に存在するうちはフェアユースは日本で有効な制度として取り入れることは難しいと考えられる。その障壁を突破するとっかかりとしては、まず著2条を改正して著作権のかかわらない知的生産物など日本には存在しないという状態にすることで受け皿ができる。そしてその上で、「業として」やるときに気を使えということ、さらにアフィリエイトなどブログ上の私的公表でも業であることなどを順次定義し、しかしアフィリエイト海賊版配布行為を入れる余地のないネット系新メディア(ユーチューブ、ニコニコ動画など)、またデジタルアーカイブ、の局地的にはフェアユース的相互利用原則を「そこでだけ独立して存在させてもよい」ということを条文へ繰入れ、創作者およびコンテンツホルダーインセンティブづける、というように進むべきである。
 初音ミクの調教方法や、3Dプリンターの配布データなど、かっこよくクールなものをつくるため、思想・感情などというくだらない言葉に縛られずに鋭意活躍している若い才能を、まず年上の法曹たちの「輪」に最初から存在させてあげるところからはじめていただきたい。さもなければ日本著作権は狭い法曹内のかごめかごめ遊びでおわる。