創作者に必要なものは何か

食べていったり画材をそろえるお金があれば画期的な創作をできるという人はいない。時間も、労力を避ける環境も必要である。その上に、必ず取材とか刺激が必要である。100%の空想で描かれた絵は人の心を打つことはない。
その刺激の種類は千差万別。アニメーションのようにチームで働くことが必要な人もいるが、そうであっても普通の社会人のように「相手がだれでもよい(互換性がある)」ことは滅多にない。このため、デザイン系の会社における転職トラブルは多く、トラブルをきらって最初からフリーで働くものも多い(その場合最低限の法務知識もないまま働きはじめる)。
ツイッターなどに無料で作品を流す個人創作者の多くは、そのツイッターなどといったネットから自分も刺激を受ける(与え合う)ことを自らの制作の必須の条件としている。
そんな創作者の中では、ゆるい互恵契約がなりたっていることがある。
ゆるい互恵契約のもとではフェアユース、コモンライセンス、二次創作OKマークなど明文化されないまま、相手ががんばるから自分もがんばる。相手に刺激をうけたネタを共有し、自分もそれにあらたな一手を載せて相手に返す、または励ましになるコメントを贈る。などといった行為が成り立つが、それは無意識に相手も自分と同程度の創作の苦労を味わった上で創作センスを共有できる、という前提がある。
フェアユースに寛大に見える人が、第三者からの「自分にも共有してくれ」という申し出については急に牙をむくように見えるのは、前提を欠いておりフリーライダーになるからである。
ひどい場合には、法律知識も尊重する気もないフリーライダー(多くは未成年)が「あなたの作品を私のものとして発表させろ」という申し出をしたり、その希望がかなえられないとありとあらゆる傷つく言葉をならべたる。その場合、ツイッターなどのネットを創作の場とするのは適切でなかったと反省した創作者が以後創作発表をやめてしまうことも多々ある。その尺度は内部化されており、「こんなささいなことで」と思える言葉で創作魂が傷つけられ今後一切絵を発表しないと決心する人があとをたたない。
ベテランになれば(十分な報酬と制作期間を得て、自力で自分のためだけの取材なども計画できるようになれば)、心裡的な互恵条約などは破棄して真の独り立ちをすることはできる。
そこにいたらせるまでにバックボーンのある出版社は育成ノウハウをもつが、ある程度は目隠ししている。契約料などでトラブルになってから独り立ちを志し、これが本来の形だったと悟る創作者も多い。
出版社にひろいあげられなければ著作ではないというのはおかしいし、出版社だけが創作状況をととのえられるわけでもない。
センスのあう「相づち」役がいれば未熟な創作者は飛躍的に力を伸ばすことができる。しかし「相づち」役との互恵関係は、自然発生的であり、金銭や著作権を介在させることになじまない。